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2013.04.02(火)

エロ禁忌


あけてはいけないページをあけてしまった。
10代前半、ある年の夏~冬のことだ。
どうもこうもない。意志を持ってひらこうと、意志を持っていまいと、風が吹いてぐうぜん勝手にあいてしまおうと関係なかった。ページがひらくということは、仲間のグループから外されることを意味した。

仲間内のみならず、全国的に、同年代の男なら誰でも知っている。読んでいる。週刊少年ジャンプは少年時代に光り輝いていた雑誌だ。同級生らの共通言語のようなその雑誌において、当時の仲間内に限り一味違う妙な共通言語が成り立った。

同じ教室にも違う教室にも、遊び仲間が大勢いた。仲間たちの誰かと毎日遊んでいたが、夏ごろ、特に同じ教室の仲間とよくグループでつるむようになった。グループのリーダー格は、"性"に関することがらをひときわ忌み嫌う男だった。

仲間たちを夢中にさせた少年ジャンプ作品は挙げればきりがない。リーダーも同様に夢中で読んでいた。
ただひとつ、電影少女だけがリーダーの意に添わなかった。リーダーは、作品をエロイエロイと非難し自分から遠ざけた。それだけならまだしも、非難は、仲間が電影少女に関する話題を口にすることや、作品を読むことにまで広がっていった。

リーダーの罵倒はすさまじかった。
エロイ、エロイ、ありえない、エロイ、お前はありえない。もうお前とは口をきかない。絶交だ。学校でも言う、全員に広める。お前がエロイと言いふらしてやる。
そうして、翌日から教室の一人一人に、あいつとは喋るなエロいからキモいから最低なやつだから関わるなと、小声で伝えて回る。断ったり怪しむと、なら次はお前を無視するからな、と密やかに脅す。
手口が陰湿きわまりなく、受け入れられない仲間や他の生徒もいただろう。完全に取り合わない生徒もいた。しかし自分が無視される立場になることを怖れ、仕方なく形だけでもと一人加担し、もう一人加担し、仲間も私も加担し、誰にも止めることができなかった。独裁政権さながら、リーダーの悪口を言った者、言ったと噂される者がすべからく同じ被害を受けた。

何ヶ月か経ち、秋が過ぎ冬がきた。
リーダーの電影少女を忌み嫌う態度は変わらなかった。電影少女は、身近に遭遇し得るあらゆるエロの象徴に君臨し続けた。少年ジャンプに連載された数々の作品が、互いに心かよわせ盛り上がる共通言語へと育ったのに対し、電影少女だけは人格否定と独裁と忠誠の共通言語へと変容していた。

リーダーに対してだけでなくリーダー以外の仲間とのあいだでも、しだいに電影少女を避けるようになった。リーダーの強権にはほとほと嫌気がさしたが、打開できずにいた。他の仲間が本音ではどう思っていたのだろうか。確認はできなかった。思いを確認し合うだけのことだが、それは反逆と受け取られ火力を増した非難を浴びる危険とワンセットになっている行為だからだ。
電影少女を完全に禁忌扱いする意識が、仲間うちで浸透してしまったため、夏から状況が大きく変わることもなく、打開のハードルは夏よりも高く感じた。

10代も前半の少年達がたむろする場所は限られている。仲間数人でよく集まる場所は、数少ない自室を持つ同級の部屋になる。しぜんと、そうなる。こすけたスニーカーが転がった玄関の奥にリビングを越えて、6畳の巣窟に辿りつく。同級の自室が日に日に散らかる様を見てきた。
無秩序に散乱する物のなかに週刊少年ジャンプを見つけた。2週くらい前の号だ。手持ち無沙汰を埋めるだけの目的で、ジャンプを手に取りページをめくった。

どの漫画作品も、先に何度か読んでいた。しかし一作品、読んでいない作品がある。
電影少女のページはこれまで意識的にひらいてこなかった。読みたかったのに、読まないでいた。リーダーの強権ぶりに愛想をつかしながらも様子を伺い、少年漫画雑誌の一冊すら読破できずにいた。自分に嫌気がさした。
個人的に商店街の文具店でこっそり立ち読みし、実は内容が面白い漫画だと知っていた。エロイエロイと罵られるだけの漫画ではないと誇る自信を、秋から冬にかけて養った。当時の私にとって電影少女は、やっぱりちょっとエロくて、想像以上に読み応えがあり、他の少年ジャンプ作品と同じように唯一の魅力が溢れる漫画だった。

同級の部屋でたむろし2週前のジャンプをぱらぱらめくっていた私は、思い切って、電影少女のページをひらいた。



====



ああーーー、お前なに見てんだよ。

小柄とはいえ5,6人が集まれば手狭になる6畳の子ども部屋。手を伸ばせば届く距離からふいに大声を浴び、顔をあげた。

リーダーが蔑みのまなざしをこちらへ向けていた。座りながら、わざわざ上体だけをこちらへ向きなおして。
信じられない。まさかお前が。エロイ。なに読んでんだよ。そうまくし立てる抑揚には、怒りや軽蔑、不信がありありと含まれていた。

リーダーの大声があまりに突然のひどい剣幕だったために、部屋にいる他の仲間たちは一斉に遊びの手をとめ、リーダーを見た。そしてリーダーの視線を追い、私を見た。
電影少女を読み始めてわずか数分数秒、せいぜい1,2ページ読んだかどうかの頃。
あぐらをかき雑誌を読む姿勢のままで座る私の手元には、電影少女のページが開かれたままの少年ジャンプ。動かぬ証拠に部屋の空気が一変した。

見ればわかることだが、電影少女を読んでいることを告げた。詰問し、言わせようとしてくるリーダー。
エロイ、エロすぎる。キモイ。ありえない。そんなやつだったなんて。信じられない。エロイ。最低だ。まじでキモい。リーダーは背中を気持ち退かせ、引いた態度で再び罵り始めた。
見ればわかるじゃん。面白いよ。よく見なよこのページのどこがエロいんだよ?私は言い返しながら、ジャンプを開いたままリーダーに突き出した。汚い菌を嫌がるいじめのように、嫌悪する反応をあらわすリーダー。やめろ、見せるなと、やみくもに避ける調子だ。

おいもうやめろよ。
周りで見ていた仲間の誰かが発言した。リーダーと私の一対一ではなかった。周りには仲間がいる。私も仲裁の対象だがリーダーにとっては苦い指摘になるはずだから、仲間の思い切ったもの言いを歓迎した。そして仲間の発言はこう続いた。
リーダーが可哀想だろ。はやく謝って許してもらいなって。
リーダーと私の一対一ではなかった。周りの仲間全員が意志を持たないリーダーのコマに見えた。頭に血がのぼる。
読んだことがあるのかとリーダーに聞いた。声を張った。雰囲気に飲まれまい、気圧されまいと必死だった。
そしてリーダーは言った。読むわけない、読んだことあるわけがない。

こんなくだらない言い争いと、いわれのない非難、パワーゲームがあるだろうかと、子ども心に、がっかりした記憶がある。リーダーにも、つるんでいた仲間にも。
しかし子どもだ。読んだことがないとする相手の弱みにすかさず付け込み泥仕合を演じた。

次の日から、私はグループから孤立した。

当時、たまたま私はリーダーのグループ以外にも学年全体に友達が多く、いわゆる方々に顔がきいたせいもあって、じき無視はなくなった。
とはいえ、友人間において、わずかでもエロ関連の話を持ち出すことに異常なほど敏感で、エロをタブー視する意識はその後も強く残り続けた。

なにかと"性"への関心が芽生える成長期にあって、"性"に対して常に一切の興味がない顔をし続けた。欲が増せば、より強く抑えた。ささやかなエロトークにすら混じれない。道端で雨水にたゆんだエロ本に遭遇しても眉ひとつ動かさない。純情ぶって、純粋ぶって、清潔ぶって、真面目ぶって、健全ぶって、恥じらいすら見せず拒む。エロにオープンな奴を羨みもしたし、憎みもした。

やがて私自身がかつてのリーダーと同じになっていることに、ふと気がついた。高校の入学式を間近に控える春休み、路肩に溶けきらない雪を何度か蹴った。




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│posted at 23:58:58│
2013.02.15(金)

教室のコアラ


二人だけの世界が、ドア窓の四角い枠にすっぽり収まっていた。
私がドアを引いて教室に入るところだった。

二名のクラスメイトは、私と同じ、それぞれ勉強目的で学校に来ていた。大学の試験を控え、冬休みでも自主的に通う生徒は少なくなかった。
席に座りいそいそと勉強を始めた私は、終始落ち着かなかった。
男子生徒と女子生徒。二名のクラスメイトはどちらも教室にある机とイスを広く使い、自由にうちとけて楽しく話していた。熱のこもった世間話が、聞かずとも耳に入り込んでくる。
私は内心、紙やすりを2枚重ねてこするような心地でいた。表向き、参考書に目を通しているそぶりで。目の前の勉強に集中し、二名の会話がまるで聞こえていないふりをして。

華やかな教室内で私の居る一点だけが黒い。私はそこに居るべきではない。顔をあげることができない。同じテンションで彼らと話すことができない。同調してうまくやりすごす為のコンディション作りが、はかどらない。

その場に溶け込む形になれない自分のこと、クラスメイト二名にとってその時間が大切であること、自分の存在がその教室で蛇足になっていること、そうして次第に滞留した時間が続いていること。
壁掛け時計の針は何度見ても同じ位置をしめす。じれるような我慢の一室。
一時間は粘っただろうか。次第に焦りが肺で肥大化し息をするのがきつくなってきた頃、あと30分でその場を去ろうと決めた。時間を切って、自分を保とうとした。ゴールの位置が定まるとそこまではやれる。

私が自宅から1時間かけてこの教室まで来ていることを、クラスメイトは知っている。あまりに早く帰るとよくない。30分は、ぎりぎり許容範囲内の時間設定だった。

その日はたまたまカバンに、お菓子を入れてきていた。登校直前に、学校近くのコンビニで買ったお菓子だ。
お菓子を持っていくなんて、我ながら珍しい日だった。
普段からお菓子を買うことなどなく、間食もなければデザートもない。当時の私には食事をすることじたいが家事の一環ともいえる作業だ。だから自分が食べる目的ではなく、もしクラスメイトが居たら、合間にお菓子でもと、ふるまうつもりだった。

高校生っぽい行為への憧れ。そこから大きく隔たる自分。
日常の風景とちょっと違う学校空間で繰り広げられる男女混合の華やかな出来事に憧れていた。
お菓子を一つ買う。それは当時私に出来た精一杯のきっかけ作り策だ。どのお菓子を選べばよいか悩み、選べず、決まらず、コンビニのお菓子売り棚の前でしばらく茫然と立った。

そうやって買った、たしか「コアラのマーチ」が、カバンの中に入ったままだった。

窓から、よく晴れた空がまぶたへ低く迫る。白くて明るい教室内、自分の周囲のみ凝り固まった空気が、体じゅうを覆いつくしていた。
冷え冷えとした汗がにじむ手の平を何度か繰り返し握っては開く。意を決してゆっくり立ちあがる。自然に見えるように、やや緩慢な動作を心がけた記憶がある。

今日はこのあと用事があるからと伝え、帰り支度を始めた。

クラスメイト二名は驚いた様子だった。
もう少し残って一緒に話でもしないかと誘いも受けたが、すっかり後に引けない気概の私には、その場を去る以外の意見に耳を貸す余地がない。
よかったらと、二人で食べるように促し、コアラのマーチを手渡した。
二人は恐縮し、なおのこと一緒に食べようと言ってきた。私はその誘いも断った。頑なに、帰る、コアラはあげる、の一点張り。
無理矢理にコアラのマーチを残して教室を後にした。
冬靴にふれる雪は軽く、歩く勢いでほろほろと崩れた。

コアラのマーチは、私には必要なかった。二人の歓談にこそふさわしいと、何度考えても同じ結論に至った。
自分には高校生の青春っぽいことがほとほと似合わないのだと、諦めた。

二人は私を誘った。仲間に加わるよう声をかけてくれていた。
しかし私が実行したのは、自分の考えを押し付けることだけだ。
自ら彼らと共に一つの机を囲う輪になる勇気がなかった。
教室で出すことができなかったコアラのマーチを自宅に持って帰り、部屋でその箱を見る勇気がなかった。

コアラのマーチは教室に置いてきた。自分も仲間に入れてくれと言う勇気は、置いてこれなかった。




│posted at 00:35:21│
2012.12.25(火)

ガスコンロ


4月中旬以降、美鳥と接する機会が増えている。

これまでほぼコンスタントに、ネット上の文字や声の遠隔方式で会話してきた。どちらかが相手の住む地域の近隣へ行くたびに、機会をつくり直接会って話もしてきた。それら交流は全く無駄ではなかったと感じている。年月をかけて培ってきた関係の延長のようでもある。
まさか付き合うことになるなんて考えてもみなかった。
驚いているが、どこかで意識していた相手だったのではないかとも思う。意識していたかも知れない過去がときどき何かの折に脳裏をよぎる。
まさか付き合うなんて、は、本音だけどきっと本音の全部じゃない。

4月以降は話す頻度も、直接顔を合わせてコミュニケーションをとる時間も、かつてと比べて格段に多い。知れば知るほど知らないことが、話せば話すほど話したいことが、接すれば接するほど接したいことが、お互いに沢山あるのだと痛感する。


========


美鳥を見ていて、一緒にいて、いわゆる別の「人格」と呼ばれそうな、他の人とも接する場面が幾度かあった。人格の枠で区切ってしまえば、美鳥とは別の人だ。でも私にとっては別人の感覚がそれほどでもない。美鳥とは表現や、おそらく思考・行動ロジックの特徴が違ってはいるものの、美鳥と他人とは思えなかった。
一つ屋根の下で暮らしている人がまとう同じ空気感のような。それよりももっと重なる感じで、美鳥とは呼べなくても、美鳥がすっぽり消えた感じでもない。

スイッチのオン、オフではなく、ガスコンロの調節ツマミみたいな。ツマミが星の数ほどあるみたいな。感情の変化や状況判断から、その時々場面によって火加減を弱めるツマミもあれば、強めるツマミもある。もともと持っているもの、養ったもの、持たざるを得なかったもの。それら成分のどこを強めてどこを弱めるかでちょっと違う感じになるような。成分を調節して、音を調律して。柔らかくかつ細やかに。

様々な人間的魅力を繊細に調節しながら守り、時には押し殺してこなければならないほど何かを損なわれてきたんじゃないだろうかと、ぼんやり考える。
私は美鳥を美鳥と呼ぶし、私以外のひとも美鳥を美鳥と認識しているだろう。
美鳥と呼ぶことで、美鳥が美鳥の火加減をより保ちやすくする気がする。同時に、併せ持っている人間的魅力を見えにくくしている気もする。可愛らしさ、無邪気さ、ズボラ、弱気、だらしなさ、おしゃま、いたずら心、お茶目、あとたぶん駄々っ子な面とか。
ときどきこういう人間的魅力がちらっと見えるときがあって、私はものすごく可愛がりたくなる。
美鳥を好きになった。美鳥が表すものも好きだ。同時に、ふだん美鳥が美鳥として表に出していないっぽい人間的魅力の一面一面を愛おしく思う。


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曖昧な表現ばかりになってしまっている上、まだまだ足りていない。

私が感じていることを説明するとき、「人格」という単語がかえって邪魔になる。
例えば人格のリストを作るなんて、ほんとうバカらしいと思う。テレビのリモコンボタンを設定するのと「人格」の定義づけとを同じ次元で捉えているように思える。ボタン一つで変えるテレビのチャンネル、その局ごとの番組表を作って、だから何だと言うんだろう。
奥ではきっとめまぐるしくてグロテスクで宇宙でアナログで張り詰めて緩んで知らないことだらけで、私の目線はそっちのほうへ向いてることも多くて。
私の感覚からは、美鳥を「人格」の概念で語る要素が見当たらない。

m120614



│posted at 00:07:24│ コメント 0件トラックバック 0件
2012.12.20(木)

雨はどこに降る


小学校一年生の思い出話。

何かの授業で、先生がクラスの皆へ質問した。
「心はどこにあるんでしょう?」
クラスメイトはざわついて、答えなんてその場で出なかった。翌日までの宿題になった。

翌日、担任の先生が質問を繰り返した。
「心はどこにあるんでしょう?」
クラスメイトはそれぞれ答えを用意していて、皆威勢よく手をあげた。

先生は私を指した。私は答えた。
「いのち」
先生は「残念、惜しいなー、」と言った。

続いて他の生徒を指し、その生徒が答えた。
「心臓」
これが正解だった。


今日、カレーを煮込みながらふと思い出した。6歳の学び舎。


m111010

│posted at 00:36:41│
2012.07.01(日)

講演 『両目を開いて生きる』


私、本当についさっき分かったことなんだけど、
人に裏切られたことに傷ついてきたんじゃないんだなぁって思ってね。
裏切られたことに傷ついてきた=人間不信 だと、
講演って、やっぱり人間の素晴らしさを話すとか、信じる大切さを話すとか、
がんばってる自分を見せて誰かを励ますとかになると思うのよ。

でも私、悪を分解したいんだわ。
解体したいのね。

赤頭巾ちゃんのオオカミは、やさしいおばあさんじゃないんですよ、
こうやって正体を見破って、腹を切り裂いて、
こちらを食おうとした贖いに、腹に石を詰めましょう。
そういうことだと思うの。

でも私たち、食われてるのに、なんでもないふりしてなきゃいけないじゃん。
何でもないふりして通勤したり、
何でもないふりして友達の話聞いたり。

それで、
私が何に傷ついてきたのかなぁって考えたら、
私の前で繰り広げられる人間の愚かさで傷ついてきたなぁって思ったの。

私が泣いて叫んで、殺してくださいごめんなさいって土下座してるのに、
それを見て指差して笑ってる両親と祖母は、自分たちの愚かさに気づいてない。
自分が何やってるかすら気づいてない。



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講演を紹介させていただきたい。

講演の講師、美鳥さんは、壮絶と言っても表現しきれない人生を生きてきた方。

様々な症状を抱えながら、筆舌に尽くしがたい環境、境遇にその心身を晒されながら、向き合い考えるのをやめずに生きぬいている方。

冒頭の文章は、美鳥さんと近況話をしていたある日、フッと口にした美鳥さん自身のことば。

日常の世間話からうかがい知ることのできる美鳥さんの感性や表現力。

とても印象深かったので、掲載したいと伝えたところ、快く承諾くださった。

こういうことばをサラッと放つ方。そんな美鳥さんの講演。



::::::::::::::::  ↓ご紹介↓  ::::::::::::::::



2012年7月16日(月曜・祝日)、私の講演会を東京にて行います。
本日から、参加申込み受付け開始します。(お申込み先着順)


当講演は、前回の講演に引き続き、今回も主にブログを通じて知り合った当事者有志のお力をお借りして、すべての運営を行っています。病や不調を持ちながらの運営は、一人一人の意志と情熱がなければ出来ません。
滅多にない手作りの講演会です。ご来場、お待ちしています。


★今回の講演ちらしです。↓↓

">kouen20120716.png

実際のサイズはA4です。
上の画像は縮小していますので、画像リンク先の元画像をご覧ください。文字が全て読めます。
ダウンロード、印刷もご自由にどうぞ。また知人友人に手渡したいと思われる方も、上記URLから、画面左上「ファイル」⇒「ダウンロード」をご選択ください。ちらしオリジナル画像をダウロードできます。(サイズは2481×3508 1.37MB JPG形式)
ちらし制作は、前回と同じ方にお願いしました。今回は、隅々まで見れば見るほど面白いちらしになっています。特に最下段の背景に見える縦線は、すべて文字!ぜひ元画像をご覧になって印刷してみてください。


それでは、講演会の概要のご案内です。
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★講師 美鳥(当ブログ著者)

  ■ 女性・大阪在住
  ■ 主たる診断名 多重人格障害・うつ病
  ■ 精神科通院・カウンセリング治療歴10年以上・現在も闘病中
  ■ TBS報道特集NEXT「自分を傷つける女たち(境界性人格障害)」ドキュメンタリー出演(2008年11月)
  ■ 「「こころの専門家」ではなく、当事者にしかできないこと」をテーマに、2010年より講演活動開始。
    主に、自尊心の回復、機能不全家族、うつ、境界性パーソナリティ障害、共依存、解離性障害 等をメインに
    当事者ならではの独自の視点から発信中。

  詳しい私のプロフィールは、こちらの記事をご覧ください。
      ◇プロフィール(2012年4月改訂)

         当事者のご家族、近親者のご参加も大歓迎です。
         お一人お一人とお会いできることを楽しみにお待ちしています。

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★講演タイトル

  両目を開いて生きる
 
    虐待・宗教洗脳・いじめ・共依存・自傷・自殺・失声症・裁判・多重人格障害・境界性パーソナリティ障害
      現在も闘病中の当事者が語る 自分を取り戻すまでの物語

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★講演会概要
 
  1.日時  7月16日(祝) 13:30~16:30(開場13時)
  2.場所  きゅりあん(品川区立総合区民会館) 6F 大会議室
         アクセス⇒JR京浜東北線・東急大井町線・りんかい線
                大井町駅より徒歩1分
         ■きゅりあんへのアクセス地図
  3.定員  96名(申込み先着順)
  4.参加費 1500円(事前銀行振り込み)
  5.お問合わせ先アドレス(会場へのお問い合わせはお控えください)
         muqol.proj2★gmail.com (主宰MUQOL) ※★を@に変えて送信ください
 
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★申込み方法

お申し込みは、こちら↓の申込みフォームからお願い致します。(複数人でご参加の場合も、お申込みフォームの記入はお一人ずつでお願いします)
講演「両目を開いて生きる」参加申し込み(別窓で開きます)(締め切り7月10日)

 ■ 携帯からも申し込み可能です。(ちらし掲載のQRコードからお越し下さい)
 
 ■ お申込みは、先着順となっております。定員になり次第、締め切らせて頂きます。

 ■ 一度目の自動返信メールでは、お申込みは完了しておりません。申込みフォーム冒頭の注意書きを最後までお読みの上、お手続きください。

 ■ お申込み時のアンケートは、今回の講演・今後の活動に活かすため行っております。ぜひご協力ください。

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★講師 美鳥からのご挨拶(ちらし掲載)

  私は、数々の精神病や症状を抱えて生きています。自傷や自殺未遂、解離、人格障害、パニック障害、昏倒、失声、難聴、共依存etc.。しかし、私を最も苦しめてきたのは、自己不信・人間不信の絶望を抱えて生きなければならない運命でした。私は運命との戦い方を知らず、自分は人間ではなくゴミなのだと思って生きていました。
 本講演では、私が、人間として再起し誇りを持って生きることとなった今日までをお話します。
 私は普段、精神障害者や生きづらさに悩む方々と多くお会いします。自分に嘘がつけない彼らの生き様に胸打たれます。悩み苦しみ成長する彼らから勇気を受け継いで、私は生きています。
 生きることは、往々にして苦しいことです。苦しいことをありのまま苦しめることは、才能です。この才能の持つ力を、世の中は知ろうとしません。自らの素晴ら しい才能を自覚する機会のない当事者が多くいます。この今の世の中で、心に不調を抱かない人の方が私には不自然にすら思えます。 
 人は互いを鏡のように映しあって生きています。他者に映る自分の姿が、自己像となります。幼い頃から歪んだ鏡の中で生きてきた私は、人間不信になりました。人間不信は根深い自己不信でもあります。殺しても足りないくらい憎い自分を好きになるにはどうしたらよいのだろう?試行錯誤と挫折と失望を繰り返した末、私は、磨かれた鏡のようにまっすぐ生きていこうと心に決めました。
 大量消費される啓発、生温い励まし等、私は綺麗事が嫌いです。生きることは、素晴らしくなくてもいい。苦しくてもいい。自らの美しいものも醜いものも両目を開いて見つめること、決して目を逸らさず目を閉じない勇気、そこから人生はもう一度始まります。
オープンで体当たりの体験談を、是非聞きにいらしてください。お待ちしています。

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★講演会関連情報(以下で講演関連情報を配信しています。

 ■ 美鳥Twitter (日常のつぶやき)
@mitorin ⇒ https://twitter.com/#!/mitorin

 ■ Ustream放送(放送日時は随時ブログにて告知)
MitorixTV ⇒ http://www.ustream.tv/user/Mitorix_TV

   雑談から闘病まで、いろんなお話を大阪の自宅からお届け。ロム専・チャット参加、大歓迎。
   ※現在、講演についてお話した6月16日の放送録画を限定公開しています。

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★こちらから、ちらしをダウンロードできます(ご友人などに手渡したい方など是非ご利用ください)

印刷用JPGファイルは、こちらからダウンロード(A4印刷対応・別窓で開きます)(サイズ 2481×3508 1.37MB JPG形式)
※上記URLから、画面左上「ファイル」⇒「ダウンロード」をご選択ください。

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★講演ちらしダウンロード用URL
https://docs.google.com/open?id=0B-fwy_hdtlPSWGRrRnBXZ0Q2M1U

★講演会申込みページURL
http://www.formlan.com/form3/user/utatocotori



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このブログを読んで下さる方の中には

内容に興味を持てる方も多いのではないかと思います。






この記事

お知らせ記事でもあり

一当事者としての私が発信したいことをぎっしり詰めた記事でもあります。



前回講演、そして今回講演と

ちらし作りに携わらせていただきました。



どうぞお手に取ってじっくり読んでみて下さい。

よろしくお願いします。



│posted at 20:11:22│
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性別:♂
うさぎの枕で寝る暮らし。
うつ病とたたかう暮らし。
サラリーマンですが、うつ病と診断され今は離職中です。社会復帰に向かうよう邁進中です。
ですが、進むことあり、戻ることあり。
其の日常が当たり前として通り過ぎるのを避けるべく、ブログを始めました。
どうか、あたたかく、お見守り下さいますよう。

 
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